2005年01月31日

寝不足がたたったか…

◆平均睡眠時間が4時間くらい、ひどい時には3時間なんて毎日をここ数年続けていたせいかどうも病気になったらしい…。別にね、身体エライとかどっかが痛いって言うんじゃないんだけどもね…。 
やっぱし無理するのはいけませんって事なんかな…。もうお年だし。 
思えばパソを買った1999年からもう5年、ずーっとこんな事ばかり続けていたような気がする。Win98時代はメンテナンスに時間がかかり、遅いモデムのネット回線で調べごとしながらパソの事をいろいろ調べた。気が付くと明け方、パソのそばに寝っ転がっていましたっけ…。最近はもっぱら2ちゃんねるとかを読みふけっていたりして夜明かしとか。翌日仕事があるってのに。弁当作らなくちゃいけないから、4時5時に寝ても6時半には起きなくちゃいけない。 
仕事中、帰宅後あわせてコーヒーばかり5杯も6杯も飲んだり、タバコはすぱすぱ吸うし。いい事してないもんなぁ。病気になって当たり前か…。 
 
ま、心配しても仕方がないので検査の結果待ちって事で。 
 
て訳で、しばらくはおとなしく睡眠時間せめて5時間くらいは確保しよーかと。いつも2時だとつい「まだ早いわ」と思う癖(^-^; 
1時にはせめて寝ましょー。 
 
もう遅いかな〜。 
アレルギーの子供を残して死ぬわけにはいかないんだけどもなぁ。 

タグ:日記
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月28日

老人介護から思い出すこと

meemeeさんの業務日誌を読んでいて昔の事を思い出した。阪神大震災の年だったのでちょうど今年で10年になる。 
 
父が白内障の手術をしたのは秋、マリーゴールドの花が満開の時期だった。 
過去に眼内レンズを入れるために労災病院で一度手術をした。その頃はまだ眼内レンズは自己負担で保険も効かなかった。なのになぜか手術は失敗。レンズ代10万は無駄に終わった。その失敗の原因というのが女医の説明によると 
「レンズを入れた途端に変色しました。アレルギーらしい」とか。 
その後10年以上に渡って近所の眼科医で白内障用のコンタクトレンズを月に一度洗浄しに通っていた。時は流れ白内障手術も技術が進歩。たまたまその年、夏場の避難に旭労災に入院中、眼科の診察を受けた折り、親切そうな若い医師で技術もありそうなので担当医に「もう一度レンズを入れる手術はできないんでしょうかね〜」と聞いてみたところ、「出来ますよ」との返事。 
なんて事だ。近所の医師は10数年一度もそんな事は薦めもしなかった。 
 
医師不信の原因1となる。(この件に関して、だが。実はもっと数え切れないくらいあるが…) 
 
その医師は信頼できそうなので手術を依頼。昔の病歴を話す。 
労災は昔のカルテをそのままつづって保存してるので、過去のカルテを見てもらう…が「アレルギーでレンズ変色」なんてひとっことも書かれていない。 
新米の女性医師だったのだが…どうも自分の失敗をアレルギーのせいにしておわらせていたらしい。レンズ代、返せ!! 
 
医師不信の原因2となる。 
 
まぁ今の医師に言っても始まらないし、医療ミスに対する時効も過ぎてしまっている。そのことはサラリと流す。 
 
夏の入院の後9月末に再入院して手術。たった5日の入院だった。 
眼内レンズの手術など入院は普通はいらないのだが、一度手術をしてしまっているので一般の手術とは異なるとのこと。 
 
しかし…この5日の入院があだとなった。 
眼科病棟の看護部が、最低の看護婦だった。 
老齢の人を入院させた場合、足の筋力の衰えを防ぐために出来るだけ自力で歩かせたりする、というのは当たり前の話。10年前でも既にそうだった。 
にも関わらずこの病棟の担当看護婦は、たまたま部屋からトイレまでの距離がかなりあり、すでにずいぶん足も弱り、トイレも近くなっていた父が一度失敗した事に腹を立て、自分でトイレに行くな、という。語気も強く命令調。有無を言わせぬいい方。おいおい目の手術だぜ?なんでベッドに縛り付けとくんだよ…と思ったが、(点滴とかいろんなもんをくっつけていたのでそう表現した)まぁ、5日の事だから、と私もたかをくくっていた。父もめんどくさいので怒りながらもそのまま。 
 
そして退院してみて…びっくり。歩けなくなっていた。 
たったの5日で。 
殆どフトンに入りっぱなしとはいえどもトイレとかお茶飲むとか食事くらいは自分で食卓に出てきていたし、なんでも自分でしてくれていたのに。 
 
医療機関に対する不信度 最高値。…抗議しなかった自分達も悪いんだけど。 
あんのやろーと思った。中年のおばさん看護婦。顔、おぼえてるぜ。今でも。 
 
 
ともかくあわてた。私には仕事がある。 
普段は昼だけ急いでかえって来ればなんとかなるかも知れないけど、東海市とか半田とかちょこっと遠方に出張する時もある。昼間にちょこっとかえって来られない。 
悩んで出張の日だけ姉に来てもらえないかと電話するも、「そんなお父さん、見たくない」と拒否。おぃ…見たくないからって見殺しかよ。 
(今気が付いたんだが…この時配偶者の事は一切自分の頭の中にはなかったなぁと。子供の事でもなんでも一度も「あんた何が出来る?」とは一度も聞かなかったし、聞くという考えにも至らなかった自分を今はじめて知る・・・) 
 
はじめて市役所に電話する。 
そして「社会福祉協議会」という、仕事の帳簿ではたびたびお目にかかる機関を紹介された。知らなかった…。そういう機関だったのね。なんと買えば30万する可動式(上半身を起したり倒したりできる)ベットを月100円で貸してくれる、という。100円ですよ? 
そして市からは週に二回、看護の人をよこしてくれる、という。。 
まだ介護保険のはじまる前。お金はたしか無料だったか無料に毛がはえたくらいのもんだった。 
 
なんて有難いんだ、とはじめて、「行政機関」というものに手を合わせたいくらいのキモチだった。母がなくなって5年、弱った父をかかえて幼い子供をかかえて、まったくの他人のような配偶者がいて、何もかも1人で背負ってきて、兄弟も頼りにならなくて。。。そんな時、月100円でベッド貸してくれて週に二度も面倒見に来てくれるなんて。どれだけ有難かった事か…。 
 
電話して事実を知ったあと、ポケンとしてました。 
見も知らぬ人が私を助けてくれると言う。しかも殆どお金もかからずに。 
はじめて税金が何に使われているのかを実感した時でした。 
世の中ってなんて有難いんだろうと心底思いました。 
 
でも自宅を下見してもらい、来てもらう人を決め、何を頼むかを記録してもらい、施策を有難く受けるはずの1日前、父は肺炎で入院、そのまま帰らぬ人となってしまいました。 
 
それでも、今でもこの「社会福祉協議会」とあの時の市の担当の方の顔は忘れられません。 私にとっては仏さんみたいでした。 
 
介護保険がはじまって保険料を取られるようになり、介護を受けるのが当たり前で、足りないものがあれば不平不足を言う、というのが今の感覚なのかもしれません。が実際に完璧に自費で介護を考えればベッドひとつとっても多大な費用がかかるのが現実。生活に困っている人こそ老人を見る人はいなくて見るためには自分たちの仕事を放り出さなくてはならない現状を考えると、この行政による介護というのはほんとうに有難い制度だと思わざるを得ません。 
介護保険がはじまってそれまで市町村ごとにいろいろあった施策を、国が制度化してしまい、それにたかる汚いうじ虫どももごろごろ現れ、国の行政施策の故の抜け穴や手落ち、おかしな点、いろいろ言われていますが、当時の尾張旭市の対応はとても有難いものでした。 
 
私にはもう介護する親がいません。今度は自分が介護を受ける番にならなければ介護保険のあれこれを知る機会はありません。 
私達が介護保険を受ける頃にはどうなっているのでしょうね。 
 
meemeeさんの日記を読みながら、ふとそんな昔の事をつらつらと思い出してしまいました。 
タグ:
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。