2005年09月22日

中学校のクラス会に出席する 1

foryou_739735628397227a.jpg◆もう知らない間に1カ月以上経ってしまったけど・・(今日は11/5) 
9月22日に中学校のクラス会があった事を書いておこうと思う。。。 
 
以前のクラス会はもう何年前になるだろうか…まだ私がパソコンに夢中になる前なので、多分8年くらい前だろうか…。 
それ以来だった。 
 
当時、卒業以来なんの音沙汰も無かった中学校の同級生から電話があった。クラス会をやらないか、というものだった。
喜んで参加した。当時はだからまだ、40代そこそこ。
私も若かった…(^-^; 
 
実は私は中学の同級生への記憶があまりない。
だいたいが、クラスメートというものにあまり感心がなかった。
いつも話をする人間はとても限られていて、それは同クラスという枠に留まらなかった。そういう人は多いと思うけれど、部活とかのつながりの方が、案外中学・高校とは強いものだったと思われる。 
加えて私という人間は、人の名前を憶えられない…orz 
 
高校時代3年間同クラスだったという人の名前がとっさに出てこなかった時、「3年も一緒だったんだから名前くらい憶えてよ〜」と言われた。
ちなみに、その人は蟹座だった…。
そう、名前は憶えていなくてもクラス全員の星座はちゃんと知っていて憶えていた。
占星術に凝っていて自分でホロスコープも書いていたくらいだったので
(PCのない時代、それはそれは時間のかかるものだったのです…)
名前より星座で印象をとらえてしまい、それで良しとしてしまっていたような気がする。。 
 
話はそれたけれど、という訳で卒業以来初めてのクラス会に出ても、
その場に出席している人の名前がちっともわからない。 
 
自分はちっとも誰それというのを憶えていなかったため、
さして期待もしなかったのに、皆はあまり目立たず、
いつも1人で絵(マンガ)を描いていただけの、今で言えばおたくだった私の事をよく憶えていてくれた。 
1人の人は、
「どんな難しい漢字も知ってて不思議で仕方がなかったのに、 
社会科で教科書をあてられて読んだ時、『厚生省』を『あっせいしょう』と読んだのにびっくりしたよ」と笑って語りかけてくれた。 
自分も忘れていた昔の事を、とても楽しく聞いた。 
 
この会では、自分が多少とも会話などしていた数えるばかりの人たちはあまり出席していなかった。
外国に行ってしまった人、すでに彼岸の地に旅立ってしまった人、
遠いので出席できません、と言ってきた人、いろいろだった。 
 
そして又、出席していた人たちも、さまざまに変化していた。 
 
これはクラス会でよくある話なのだけれど、 
クラスで結構上位にいたはずの人が、単なるサラリーマンになっていて
くたびれた感じのおじさんになっていたり、
当時クラスでいわゆる下位の成績でありながら結構人気のあった人間が、
独立して会社を経営していて羽振りが良かったりするのである。
 
クラスで1番の成績だったはずの人は、単なる数学の教師になっていた。 
又、中には二回結婚して二回別れたという女性もいたし、 
自分の店を持っているという女性もいて、
一瞬濃い化粧に引いたりするも、実はそんな人の方が一番なじみやすかったりもした。 
クラス会の音頭をとってくれた人は、まだ子供が小学生の時、奥さんが突然死し、子供の為に警察官を退職し一年間専業主婦に専念したのだ、と言っていた。男の人である。今ちょっと気が抜けるようになったので、今回の音頭を取った、と言っていた。 
 
家計の為に結婚以来ずっと共稼ぎを続け、出産前日まで仕事をし、父母を見送ったりして、そんなに楽をしてきたつもりは無かったのだけれど、 
子供はなかなか思い通りにならないまでもそれなりに無事育ち、仕事にも家庭にも恵まれて来た事をその時、実感したものだった。 
 
卒業して25年以上が経っていた。 
 
さまざまな人生を歩んできている人たちが 
それぞれに楽しそうに杯を酌み交わした。 
 
 
クラス会に、当時の室長さんが来ていた。
 
背は低かったけれど端正な顔立ちで、まじめで優しく、控えめな人だけれど人気があった。 
私も一度は憧れた事もあっただろうと思うその人は、
この集いの半年ばかり前に離婚し、会社もクビになったか退職したかで離職中であり、失意の真ん中にあるという事だった。 
プライドの高い人ならば、このような場所でそういう話は明かさまい。 
けれど彼は屈託なく真実を話し、
なんの損得も利害も絡まない、この日の会合がとても楽しい、心安らぐものだと言って喜んでくれ、 
皆はかの日の室長さんを慰め、以後の彼の幸運を祈って乾杯した。 
 
そうして期待した以上の楽しい時間を過ごした。 
 
 
それから、一週間後の事だった。 
 
クラス会の音頭を取った人から電話があった。写真が出来たから送るよ、という電話だろうくらいに思った。 
 
しかし、ちがった。 
 
クラス会のちょうど一週間後、かの室長さんが突然死したという報せだった。クラス会の会費の余剰金から香典を出すのを許可して欲しいという。 
 
彼は、実家の一室からその日の朝、起きあがっては来なかったそうである。 
 
 
言葉がなかった…。 
 
25年間以上、どこで何をしているか知らずに来た。 
20数年ぶりに会い、これからの無事と幸運を互いに祈り、 
又、集まろうね〜と約束して別れた七日後の事だった。 
 
クラス会が無ければ、遠い世界の出来事として数年後、
ああそうだったのと言うしかないような事件だった。 
 
脳裏にはほんの数日前、失意の日々にやつれてはいるものの、 
「きっとこれからはいい事があるよ」と言われて照れ笑いしていた 
室長さんのかわいい笑顔が浮かんだ。

切なかった。 
 
連絡を受けたその日、会に出席した人たちは、皆同じ事を思った。 
20数年ぶりに開かれたクラス会は、彼の淋しい門出を、 
せめてなつかしい青年時代の人たちとの安らかな想い出で満たせてやろうとの天の計らいではなかったかと。 
 
 
前回のクラス会は、そんなエピソードを残して私達の心に残ったものになった。
 
…その時以来の、今回の集まりだった。 
 
∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜 
 
今回のクラス会は、地元の飲み屋が集合場所だった。 
名古屋の金山駅の近くである。 
 
なんで栄とか名駅とかでやってくれないの〜と初めは思った。 
金山なんて中心からずれていて、瀬戸近辺から平日の7時に目的地に着くのはかなり早くに仕事を切り上げねばならない。 
と文句を言っていたけれど、セト電から中央線に乗り換えて金山駅に行くのは、実は名駅へ行くよりずっと早い事をこの日初めて知った。 
 
私は、高校一年生で引っ越しし守山区に移ったため、中学時代を過ごした当時の地元をそんなに訪れたことはなかった。 
数年前に子供が東京のコミケに行くために鈍行電車で行った折り、 
迎えに行ったのが最後で、それも迎えに行っただけなので、ゆっくりまわりを見渡す心のゆとりも無かったのだけれど、今回は電車で行ったため、ゆっくりと当時歩いた道を懐かしがりながら歩くことが出来た。 
 
なにもかも、変わっていた。 
 
金山駅から沢上の方面に少し歩いた角に、大きなラブホテルが出来ていた。 
小学生だった頃、ある友人の家が旅館だった。 
「ここが家だよ」と教えてくれた友達の自宅であった旅館の前では、 
綺麗に着物を気付けた彼女のお母さんが、玄関に水を打っていた。
 
玄関は綺麗なタイルが敷き詰められており、お母さんという人は、とても品のいい人だった。家に帰り、私は母にとても喜んでこの話をした。 
「○○さんのおうちは旅館なんだって。とっても綺麗な玄関だったよ、 
○○さんっていいとこのお嬢さんだったんだねぇ」と。 
 母はその場所を聞いた後、父と顔を合わせ、とても困った顔をして言葉を濁した。ずっと大人になってから、その旅館がいわゆる当時の「連れ込み宿」と呼ばれるものだった事を知り、当時の母の困惑顔の理由がわかったものだった。

その旅館のあった場所が、今は大きなラブホテルになっていた。
彼女は今、どうしているのだろう…。 
 
小学生当時、父が交通事故で入院した、しらみや南京虫がいると言われた外科は、とても立派なビルに様変わりしていたし、
通学路の途中にあって、いつも夏の下校時には当時まだそれほど普及していなかったクーラーの冷気にあたりに寄っていたお茶屋さんは、まだ健在だった。 
とてもなつかしかった。 
金山まで電車で出向く機会を与えてくれた事に感謝した。 
 
考えてみれば、
私は引っ越ししてしまったからこそ、この風景が宝物のようになつかしいものに感じるけれど、
当時から引っ越しせずに地元で住んできた級友たちにとっては、変化も日常の出来事の一つなのであって、そんな感動を呼び起こすものではないのだろう。

幼年時代、少年時代を過ごした地を早くに出ると言うことは、地元で年を過ごしてきた人よりも一つ余分に宝物を得ることが出来るのだなぁと、この時初めて気がついた。 
 
◆発起人は前回と同じ人だった。警察官だったという人である。 
今はバイトに入っていた関係から、郵便局員になっているという。 
公務員に40才を過ぎてなれるのだという事実に驚いた。
(いや…警察官も公務員だし(lll・ω・`) ※後記※) 
子供達は二人とも自衛官になっているのだという。女の子二人だそうである。 
嬉しそうに携帯電話の待ち受け画面の写真を見せてくれた。 
いくつになっても、親は子供を待ち受け画面に飾るのだなぁと思った。 
 
…私の携帯は、ラックが待ち受けになっている。 
子供への愛情がたらないのかな〜(--;) 
 
自衛官はいいよぉ〜と言う。子供を自衛官にしたら?貯金もできるし、なにより辞める時には就職を斡旋してくれるんだよ、と言っていた。(問題発言?) 
「でも、戦争来そうじゃん」というと、そこにいる男たちは皆、 
「ない、ない(´∇`)〜」と言って笑った。 
 
…ここには2ちゃんを見ている人物などおらんらしい。
だいたいネットもやらない連中ばかりだ…。やっぱし孤独感。
ここで中国の危うさをバラしても仕方ないので、サラリと笑ってごまかす。いやでも、真剣に案じてますから(;^_^A  
あーでも殆どの人は知らないんだろぅなあ_| ̄|○…。とても残念。 
 
 
 
前回ほど人は集まらず、ほんの7人ばかりの集まりになった。 
 
前回くたびれたサラリーマンでしかなかった人は、もう今では貫禄もつき、立派な管理職になっているように感じられた。 
当時はまだただの工員だった人は、独立し羽振りののいい経営者に生まれ変わっていた。
当時離婚するしないと騒いでいた人は、今では新しい愛人と共に生活し、そのうち自分の店をもう一回出したいと意気込んでいた。 
この年になっていても「愛人」を持てる勇気と実行力に感動さえ覚えた。 
最近色気なんぞてんで脳裏になく、反中国や嫌韓やら政治問題ばかりに興味が行っている自分を考えたら、おもしろかった。
そんな人たちもいるのだと、感心ばかりしていた。 
 
またしても、人それぞれの8年間だった。 
 
皆それぞれの物語。 
中学のあの教室の一画面からは予測し得ない未来が一人一人の上に訪れて、 
それぞれが人生を学んで…そうして、いつか去っていくのだと…。 
 
どの時代、どの地域にも、一人一人の人生があって… 
それはただの群像の一部なのだけれど、その人その人にとってはとても重い物語と、語り尽くせない想いがつまっている。
 
それが戦争中だとしても革命のただ中にあったとしても。 
日本の平和の中にあった私達は、何があったにせよ、まだしも幸せな物語なのに違いない。 
 
私の好きなマンガのシーンに、萩尾望都の「ポーの一族」の一画面がある。 
「この人たちの、この想いはどこに行くんだろう」という箇所だ。 
 
何世紀にもわたって、生まれ、死んで行く、いくつかの人々の魂の 
ひとつひとつの想いは、誰にも知られる事なく 
その人と一緒に、いつかその人のいのちの終りと共に消えていく…。
 
なんとも言えず、これが哀しい。 
 
人の想いが、それぞれのカルマとなって次の生に連綿として続いていくものだとわかっていても、それでも、哀しい。
 
父が死んだとき、母が亡くなった時、いつもいつも思った事だ。
 
次の世で父が生まれ変わってまた巡り会ったとしても、それは今世の想いとは又、少し違ったものになってしまうだろうから。
 
 
カラオケを歌った帰り、もう12時の少し前という深夜であったにも関わらず、金山駅にはたくさんの人がたむろし、
駅前の広場では、ギターを弾く若者を取り囲んで聴いている群れもいくつか出来ていた。 
私たちの若い時にもフォークがはやり、こうした場面をよく目にしたっけ。 
なんだか懐かしかった。 
こうやってたくさんの人たちの群れを見ると、私はいつもいつも先ほど書いたような事を思い出す。
なんてたくさんの人達が住んでいるんだろうと。 
知らない顔、顔、顔…

だけどそれぞれに家があり、家族があり、物語があるんだなぁと。 
 
今回は前のような、誰かの門出を送るための集まりではないようにと 
祈るばかりである。 
 
…それこそ、私かもしれないではないか。 

ラベル:日記
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月17日

ラックちょこっと元気(^o^)

foryou_739735627406362a.jpg

■なんとなくいつものラックに戻ってきた。 
尿量が少ない気がするけれど、人間でもいろいろな日があるもんな、と過剰な心配するのをやめにした。 
今日はお出迎えもしてくれた。 
昨日からずっとべたべたしていたので、 
今日はなにかにつけてラックの方からお誘いしてくださる(^o^) 
 
そうだ…ここのところ、忙しくて殆どかまってやれなかったなぁと反省。 
最近はラックもあきらめが早くなって、誘っても乗ってやらないと 
そそくさと自分の居場所に戻っていく。。。。ごめんよ 
 
寝てばかりいるのはたしかだなぁ。 
 
エサを買いに行くと、「シニア−7才以上の猫用」などというエサが売っていて、「ああ、ラックはもうシニアの部類に入るのか…」と気がつかされる。 
 
猫にとって七歳はシニアなんだ… 
 
かわいい、かわいいといじくり回して私達にとってはいつまで経っても 
赤ちゃんと同じなのに。 
ちょっと、ショック。 
 
ラックと見つめ合って、時々、訊く。 
 
「ラック、しあわせ?」って。 
ラックは答えない。指をなめなめしてくれるけど。 
 
いつまでも一緒にいようね、とお願いする。。 
それが不可能な事だと知りつつも、言わずにはいられない。 
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 
 
外に出してもらえないラック。 
いつも、窓辺で外を眺めているラック。 
 
猫にとって何が幸せなんだろう、といつも考えさせられる。 
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 
ラベル:日記
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

ラック

foryou_739735627208189a.jpg

■自宅を離れて仕事をしているとこんな時心配。 
 
今朝は起きてからも何度もラックを確認した。なんとなく歩き方がとろいけど、 
一応普通っぽくしている…。 
お弁当を作っていたら階下に降りてきていたので、ちょっと安心する。 
追っかければ走って逃げるし。 
朝食を食べる時、いつもは自分から隣のイスにちゃっかりあがって 
「なんかくれ〜」ポーズをするんだけど、今日は自分から隣のイスによいしょとラックを「置いた」。
当然じっとはしてなくてすぐに降りてしまうんだが、 
ジャコのパックをサラサラ音を出して振ってやると、今度は自分から乗ってきた。 
ほんとはジャコは塩気が多いので、やってはいけないものなのかもしれない… 
 
でも、ついあの目で見つめられると、あたしはやってしまうんだ…orz 
 
 
目がいやにやさしい。やさしく見えるのは力がないせい?とか 
疑ったりしてしまう。 
 
本当は私、めっちゃくちゃ 心配性なのだ。。。。 
 
 
実は日曜日から例の「やせ猫」さんが来ないので、とっーーーても気になっていて、ラックが「お帰り〜」とお出迎えしてもそっけなかったり、 
抱き上げなかったり、追いかけてあげなかったり、という日が続いていた。 
 
私が玄関ばかり気にしているのを、ラックも気がついているような… 
ねこたんも、愛情の変化に気がついて、鬱病にでもなるんかいな〜(-_-;) 
 
■ラックは後ろ足を引っ込める骨がかたっぽ折れているので、 
座るときは、こんな色っぽいかっこになります 
 
かわいい…´∀`)… 
ラベル: 日記
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

なんか変

■今日はラックが寝てばかりいて変。 
玄関にお迎えにも来なかったし。 
そう言えば昨日もそうだったかもしれない…。 
昨日かおとといか…。前にも一度あったよなぁ。。。 
 
眠いだけだよね、ラック。。。。 
 
さっきはフツーに紐で遊んだけど、またすぐいつもの場所で 
ねてるじゃん。 
今日一度も下に降りてないんじゃない? 
 
んな事ないか…。 
 
それにしても少なすぎる。 
 
 
なんか変だよ… 
ラベル:日記
posted by 紫猫 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。